宵越の名
(お侍 拍手お礼の一)
 



これもまた、あまりに寡黙な彼だから、ということなのか。
そういえば、誰かを名指ししてから話し掛けることの滅多にない御仁でもあり。
とはいえ、それなりの甘い気分となっての差し向かい。
乙な目をして枝垂れかかりの、
切り結びの活劇中に、
紅の長衣の深いスリットから剥き出しになるあの綺麗な御々脚が、
少しばかり窮屈そうな横座り。
艶な趣きで踏みはだけられてあらわになりのと、
せっかくの甘い雰囲気のその最中だってのに、

「…島田」と、

例の単調な声音で呼ばれるのは、いささかつや消しであり。

「…。」
「? どうした?」
「いやなに。大したことではないのだが。」
「嘘だ。」

こちらさんもどちらかと言えば物静かな男だのに、
それでも不意に押し黙ってしまったのへと、よほどの違和感を覚えたのだろう。
その肩口からこぼれて胸元へも、
一房ほど下がっている長い蓬髪の先へと触れるほど、
懐ろ深くへとにじるように擦り寄って来て、
不満げな双眸を見張り、まじっと見上げて来る勢いには勝てず、
「その、何だ。名前の方で呼ばわるのはいやか?」
「名前?」
怪訝そうに微かに小首を傾げた所作は、
戦いの最中に双刀を振るわせればそれはおっかない鬼神のようになる、
一種の魔性を微塵も感じさせない、
むしろ無垢なばかりの素のそれではあったが、
「…。」
その眼差しがほのかに俯いたのは、
日頃のやり取りでも思い出してでもいるものか。
そういえば、この首魁殿は、
侍やそうでない者、どちらからも、
皆から親しみや信頼を込めて下の名前の方で呼ばれてはいなかったか?
思い出せば後は呑み込むだけであり、
それでも慣れぬことだからか、わずかなためらいが齎す緊張のようなものが漂って、
何とも初々しい間合いがあってのち、

  「カンベエ」と、

呼んでみたところが。

「…。」
「どうした。」
「いや、何。」

どうしてだろうか、やはり単調な口調であったからだろか。
年若な者からの甘い呼びかけには到底聞こえず、
むしろ尊大な者からの上からの呼びつけにしか聞こえぬ不思議。

「慣れぬことはしないほうがよいのかも知れぬな。」
「…?」

うんうんとやたらに頷きながら、
一人だけ納得したらしき相手から、誤魔化すように髪を梳かれて。
何だか妙な引きつりのようなものが感じられるものの、
まあいいかと、
流していいこともあるのだと学習したらしき、
どこかだけが真っ白な、白紙のまんまのカナリアのような君。
小首を傾げたまんま、されどやさしい口づけへ、素直に取り込まれ、
どういう意味のあったやり取りだったのか、あっさり忘れてしまったそうです。




 *おお、こんなところで尻に敷かれそうなカンベエ様になろうとは。(苦笑)

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